Duolingoを300日続けてみたら

気づいたら300日、そんなつもりじゃなかった

まさか自分が300日も継続して学習するなんて思いませんでした。始めたときはこういう感じか、という感覚でしたが、意外にもゲーム感覚で楽しめました。気づいたら300日継続、という感じです。

英語が劇的にできるようになったわけではありません。でももしかしたら、開始当初と比べれば、レベルアップをしているとは思いますが、毎日の小さな積み重ねなので、それほど劇的な変化を感じているわけではありません。

ただ一つ言えることは、毎日欠かさずに学ぶ、というきっかけにはなっています。英語を母語とする人は当然のように毎日英語を話すので、今日はいいや、ということはないと思うのです。

Duolingoを続けて得られた実感

劇的な変化はないものの、英語の持つリズムや語順などは感覚的につかめてきているかな、という感じです。あと、スピーキングは始めた当初は、たとえ短文でも滑らかに読むことはできませんでしたが、今は、以前にくらべて、滑らかに読むことができているという感じです。

だからどちらかというと、左脳より、右脳的な、言語感覚が磨かれているな、という感じです。

300日経って、話せるようになったか、というと微妙です。これは正直な現実です。

続けられた理由は、英語じゃなかった

Duolingoのすごいところは、やはりゲーム感覚です。XPがたまっていくのがロールプレイング的でもあるし、連続記録が続くような仕掛け(通知や、通知音)があるので、これによって今日は止めようか、ということが防げられます。私の場合は、朝起きてすぐの時間帯に行うようにしているので、日課、あるいはルーティン化しているため、「やる」「やらない」で迷うということはなくなりました。だから、日々の生活の一環にしてしまうとよいのかもしれません。

レベルが上がっていくのも楽しみではありますが、「やっている感」が安心感にもつながっています。

Duolingoが教えてくれないこともある

スピーキングを集中して練習をすることができます。短文を読む、という練習には良いと思います。ただ、発音の正確性やイントネーションを学ぶのには限界があるかな、という感じです。

会話もやや文法的なフレイズが多いので、日常会話を学ぶには、ちと物足りないかという感じもします。

それゆえ、理解は深まったけど「使えるようになった?」と聞かれると、「微妙」という答えになりそうです。

学習をつなげる、という発想

Duolingoそのものより、Duolingoを通して次の学習にどのようにつなげていくか、ということも大事かと思います。私は、ミスをしたとき、画面キャプチャを取り、「ミス集」を作って、集中的に学んでいます。(これはDuolingoだけではなく、Cakeの場合も同じ)。間違えたところは、頭に入っていない、集中すべきところなので、この弱点つぶしこそが学習になるのでは、と思います。

また、毎日セクションだけやって終わりとしないで、土日などの時間がとれるときは、「スキルの練習」で集中的に行ったりします。

ちなみに、私はSuperをサブスクにして課金でやっています。課金したほうが、無駄にしたくない、という気持ちも働きますし、ライフが無くなるときって、立て続けになくなるので、課金にしています。

英語学習に挫折しそうな人に伝えたい

英語学習は毎日完璧である必要はありません。間違えがあった方が早く吸収できますので。

毎日、アプリを開く自分をほめたたえることも大事です。

習慣全般に言えることですが、やはり、続けられる仕組みがあるからこそだと思います。気合と根性では長続きしないのです。だから、海外出張に向けて、急いで学習しなければ、という人を除いて、短距離走ではなく、気楽な散歩を少しずつ継続していく、というくらいがちょうどよいのです。

300日は、「話せる」より「続ける」

英語力が伸びた、というより、継続して何かを学ぶというきっかけが変わり、「自分との関係性」がかわってきたのではないかと思います。

また明日も早起きして、365日を目指していきたいと決意をしております。

以上、<Duolingoを300日続けてみたら>という話題でした。

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